2017年06月18日

グレアムの「反論ヒエラルキー」

ひょんなことからネットでGraham's hierarchy of disagreementなるものを知り、これはなかなか解りやすく面白いなあと思ったので暇は人たちにご紹介しようと思いました。「反論ヒエラルキー」とも訳されてますが、要はある意見に対する反対意見の述べ方を分類することで、その説得力の強さの参考にできるという代物です。反対意見を見る人も、反対意見を述べようとする人も、これを参考にすると便利よーってとこでしょうか。

全部で7段階、DH0からDH6までとされてます。ニュアンスまで訳すのは結構難しいですが頑張ってみます。
DH0 誹謗
DH1 人身攻撃
DH2 論調批判
DH3 否定
DH4 反論
DH5 反駁(はんばく)
DH6 要点反駁

ここに並べた用語は私の個人的な訳です。「反駁」とかはディベート用語だったりして却ってわかりにくいかもしれませんが、「反論」と別の用語が欲しかったので使いました。紛らわしかったり解りにくかったら堪忍してください。

Paul Graham(ポール・グレアム)というプログラマー上がりのおっちゃんが2008年にエッセイで述べたこの反論分類、個人的には結構好きです。ネットというところは反対意見がたくさん載っておるが、これはそもそも賛成意見とかわざわざネットに上げないからじゃ、みたいなとこから始まります。

DH0 誹謗
相手の意見に対して「お前みたいなバカは死ね」みたいなやつですね。グレアムによれば反論界の底辺かつ最もよくあるパターンだそうです。上品だけど同レベルの説得力しかないバージョンとして「筆者は自意識過剰な誇大妄想狂にすぎない」などがあるそうです。

私自身が以前から、意見の内容の価値はその意見を表明した人物が誰であるかとは無関係のはずなのに、世はなぜにこうもそれを無視して生きている人だらけなのか、不思議でならなかったので強く共感した次第であります。マザーテレサが言おうが連続猟奇殺人犯が言おうが「人殺しはいけません」という意見の価値は同じの筈です。(こちらがそれをどう感じるかはまた別のお話ですよね。)いわゆる「おまゆう」案件は意見の価値ではなく、言った人間の価値に適用すべきだと思うのです。

DH1 人身攻撃
人格攻撃といったりもします。「あいつは◯◯党の党員だから、そりゃそう言うに決まってる」など。関係ないとは言えないかもしれないけど、意見に対する反論としては弱い、と。本来はその党員が述べた意見のどこがどう悪いかを攻撃すべきであり、党員が言ったから云々はDH0ほどではないにしろ論点の掏り替えには違いないと。

面白いのはこれの亜型として、意見を言ったものは専門家ではなく信頼に値しないというもので、これは僕もよく見るし、また実際(特に医学関連では)非専門家が目を覆うほどヒドイ意見を平然とお述べになられます。当然、非専門家は無茶苦茶言うことが多いので無視していいだろうと思うものの、確かに意見そのものへの反論としては弱いでしょう。全く無意味ということではないと考えますが、説得力スペクトラムのどこらへんかというお話ですのよね、このDHばなし。

DH2 論調批判
これもよくありますね。「へらへらと述べるのは不謹慎である。」とか「被害者たちの気持ちをないがしろにしている」とか「苦しんできた人たちの気持ちを考えたことがあるのか」などなど。そりゃ不謹慎でないほうがいいし、被害者たちを傷つけないほうがいいし、苦しんできた人たちへの思いやりは大事でしょうけど、意見の価値とか命題の真偽とかとは全く関係がないんですよね。グレアム曰く、「主張者は不真面目だが正しいとしたら?もしそうなら真面目で間違っているよりはマシだ。主張が間違ってるなら、どこが間違ってるのかを言うべし。」

DH3 否定
この段階まで来て初めて言われた内容に対する反応となります。内容に対する反応としての最低レベルとしては、単に反対意見を述べるに留まり、それを支持する証拠は僅かもしくは皆無というもの。「◯◯◯は無意味だと言う声があるが、全くそんなことはない。」とか言い切って終わっちゃう場合で、よくDH2と組み合わされるそうな。これでもそこそこ強力な反対意見になる場合もあるらしいけど、まあ、なんだ、なんか補強証拠だしたほうがいいんでね?ってことらしいっす。

DH4 反論
さあ、やっと説得力が多少なりとも発生し始める段階となりましたようです。言い換えると、これまでの段階は「なにも証明していない」として無視してよいとのことです。一般の「議論」ではDH3以下の応酬が見られるし一般人的にはそれなりに聴くべき点があるように感じますが、冷静になれる人たちはDH4以上でないと話が始まらんはず、ということでしょう。

ここでいう「反論」とはDH3の否定に追加してなんらかの論理的な筋道とか証拠を追加したものを意味します。ただし、その追加物の質は問わないため、元の意見とは少しズレた点を攻撃するものだったりすることはよくみられるとのこと。(意図的に少しズレた点を攻撃するという戦法はそれはそれで構わないけど、その場合は早めにそれを明らかにしといたほうがよい、と。)

DH5 反駁
ディベーターの皆様、おまたせしました。これがいわゆるrefutationです。極めて説得力のある「反論」であり、また極めて珍しい形式であり、珍しい理由は用意するのに手間がかかるからです。反駁するためには、まず相手の意見をきっちり引用し、それがどう間違っているかを説明する必要があります。きっちり引用できてないとDH4にありうるズレた点攻撃をやっちゃう可能性が高まります。相手の言ってない点を必死に叩きのめしたってしょーがないっすよね。でも実はよく見ます。エネルギーの空回りです。

グレアム師匠曰く、引用しておきながらDH3やDH0程度のへっぽこ反論しかできていない輩も見受けられるとのことなので、引用しただけではダメよと。まあそりゃそうですわね。

DH6 要点反駁
この階層構造の最高部(最深部?どっちだろ)がこいつです。DH5であっても意図的または非意図的に相手の意見の些末な点にきっちり反駁するケースがあります。相手の文法的誤謬、言い間違い、数値等の不正確さなどをこてんぱんに叩きのめすのは結構ですが、それが相手の意見の「要点」すなわち主要な部分でないなら、結局は相手の信憑性を下げることにしかならないので、DH1 Ad hominem(人身攻撃)とどっこいどっこいの効果しかもたらしていないかも。

最後に
グレアムせんせが最後に書いてたので付け加えますが、反論がDH0からDH6のどこに属するかということと、「反論が正しいかどうか」は別のお話です。そりゃそうですね。悪口を言ってるだけだけど正しい、ってことはありえます。きっちり要点反駁しても間違ってることもそりゃあります。ですが、説得力、信憑性、信頼度という点ではやはりDH6とDH2以下では全然違います。

よって、あくまでも判断の参考にするのに用いるくらいかなと。特に口のたつヤツに騙されないよう、煙に巻かれないように気をつけるのに使いましょうとのこと。

また、意見を表明しようと思ったときは振り返ってみましょう。論理的な間違い、不正はほとんどが意図的ではなく、だいたいは正しいことを論理的に言ってると信じてなされるらしいので、ちと一歩下がって自分がそういう間違いに陥っていないか、客観的になる手助けとしましょう。

で、最後の最後、ここが美しいのです。頑張って訳してみます。

上手に反論する最大の利点は対話がよりよくなることではなく、対話に参加した人たちがより気持ちよくなれることです。対話を分析してみるとDH6と比べるとDH1では意地悪の量がはるかに多いことがわかるでしょう。自分にしっかりした論点があれば意地悪になる必要はありません。それどころか意地悪にならないほうがよくなります。述べるべき確固たる内容があるならば、意地悪をすることはその邪魔となります。

反論ヒエラルキーで上の段階に登ることで人々がより意地悪でなくなるのならば、それは人々がより幸せになるということです。多くの人は意地悪になることを楽しんでいません。意地悪にならざるをえないだけなのです。


議論を通じて幸せになれるのはいいですよね。そもそも議論を始めた理由って、やはり皆で幸せになりたかったからなのですよね、多くの場合。
【関連する記事】
posted by 素破斎 at 00:39| 北海道 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
Wikipediaに「西和彦」なる人物のページがあります。
このページのノートでは、かなり長い議論が交わされていまして、西和彦氏本人の文章は感情的かつ攻撃的、目を覆わんばかりの内容となっています。

しかしながら、そういったノイズを取り除いて西氏の言わんことを窺ってみると、集合知も転じて集合愚となる可能性があることを示唆しており、大変興味深い議論となっています。

Wikipediaの本質に迫る大事な議論であるのに、傍目には「バーカバーカ」と言っているようにしか見えないのは、本当にもったいないですよね。
Posted by Tege at 2017年06月30日 14:19
お久しぶりです。コメントありがとうございます。お返事がまるまる一か月かかってしまって申し訳ないです。

西さんて方は知りませんでしたが、アスキー社を始めた人かつ、私の甥が今年入学した須磨学の校長さんなのですね。

Wikipediaのノートってのはどうやって見るのかわからなかったんですが、西さんが日本のWikiをボロクソ言ってる記事は読めました。この人が感情的に暴れたのであろうなと想像するのは難しくなかったです。確かに、すごい良いことを言っててもノイズ多いと分かりにくいんですよね。

さらにネットでノイズ多い人ってどうしても中身薄い傾向がある(気がしてる)ので、ノイズ多い人の言うことは真面目に聞こうとしなくなってしまうのが私。

ノイズを減らすのが流行してくれればなあと勝手な希望をかかえておりますのよ。
Posted by 素破斎 at 2017年07月30日 11:07
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。